子ども時代の罰ゲームって謎すぎると思う
昨日、友人の子ども(以下 : 太郎くん〈仮〉)を見ていて思ったことなど。
子どもって、独自の遊びを創造しますよね。
遊びというのか、ルールというのか。
「横断歩道の白いとこしか踏んだらダメ」
とか。
「道路の障害物(電柱とか)をカクカク直線的に避けなきゃダメ」
とか。
そういう謎行動のことです。
で、それが達成できなかった場合の罰ゲームも、同時に決めていたりしませんか?
しかもその罰ゲームって、無駄に地球の未来を背負っちゃっていたりしませんか?
罰ゲームとはまたちょっと違うかもしれませんが……
なんて表現したらいいんでしょうか、この「さもないと」感。
まぁこの「さもないと」感、ご多分に漏れず、太郎くん〈仮〉にもあるらしく。
彼いわく、
「僕がこれを成功させないことには、銀河系が滅ぶ」
らしいです。
あらまぁ。
えらいこっちゃ。
そりゃ、何としても成功させてもらわないと。
地球の未来どころか、銀河系の存続の可否までが彼の手中にあるとは。
バットマンもびっくりだぜ。
確かエヴァの碇シンジ君や綾波レイちゃんですら、すでに14歳になっていたはず……
まさに大人と子どもの狭間、まだ幼き日の面影を残す思春期の若者たち……
そしてそんな彼らが背負う、あまりにも重すぎる使命……
必死でこのギャップと向き合う彼らに、誰もがありし日の自分の姿を重ね、愛しさと切なさと心強さをその胸に抱いたものよ(エヴァ、一応アニメは全話分制覇したはずなんですけど……私は頭が悪いので、難しすぎてよく分かりませんでした。解釈、合ってますか? )。
それなのに、弱冠6歳にしてその何倍も過酷な運命を背負ってしまった小さな体を見つめながら、
嗚呼、運命とはかかるに厳しきものなるや
【現代語訳】
子どもがたまにするワケの分からない言動って可愛すぎますよね。
などとどうでもいいことを考えながら、「ドゥクシッ」とかいう小学生男子特有の効果音をBGMにして心地よい午後のひとときを謳歌していたわけですが……
……ふと冷静に考えてみると……
私も
「バドミントンのシャトルをお姫様に見立て、絶対落としたらダメ。落としたら世界が終わる」
みたいな遊び、よくやっていたことを思い出してしまいました。
もはやこのバドミントン、試合じゃないわけです。
「いかにラリーを続けるか」という、美しき共同作業なんです。
新郎新婦のケーキ入刀に勝るとも劣らないと、巷で噂の……
というか、そもそもその大切なお姫様をラケットでバシバシ往復ビンタしている問題についてはどうお考え?
落とすほうがまだマシだと思いますけど(笑)
あー。
でもホント。
かつての私もまた、過酷すぎる運命を背負ってしまっていたようです。
私、今ではこんな残念な仕上がりになってしまってますけど……
子どものころは、目の前ではしゃぐこの太郎くん〈仮〉ように、可愛い可愛い存在だったんでしょうかね❤︎
キャッ❤︎❤︎
「………………………………………」
なぜか眉間にしわを寄せた顔の写真しかないんです。
「31年生きてきて、こんなブサイクな子ども1度も見たことがない」てくらいのブッッッサイクなんです。
でもでも、子どもの可愛さって、顔の造作関係ないですから。
ね!?!?!?!?
【真顔。「『うん』と言うまで帰すまい」という圧力】
と、精一杯の自己肯定をしたところで本日はここまで。
お仕事の方も、お盆休み中の方も、充実した週末を❤︎